ついこの前、晴れ間がないなぁ~とこぼしていたら、今度は真夏のような陽気となり、極端な気候の変化に身体が戸惑っています。
木曜日の支部稽古会でT八段から「G県の人(つまり私)は右に傾いて打っているって浅見先生がおっしゃっていたよ。」と言われました。演武大会の朝稽古では所狭しとごった返していたのにどこからか、私の稽古を見て頂いていたようです。前々からのクセが全く直っていないのは困りものです。
この週末、晴れて部屋の窓を開け放していたら、近所の中学校で体育祭があるらしく、「明日の体育祭は勝ち負けが全てではないから!」と先生らしき人のアナウンスが聞こえてきました。体育祭の前日にそれ言っちゃう?と若干の違和感を覚えつつも、今はそういう教育方針なのか~と思うにとどまりました。ところが、当日のPTA会長らしき人の式辞では「勝負事なので是非勝ち負けにこだわってください!」と流れてきました。瞬間的に大笑いしてしまいましたが、それを聞いた生徒さんたちは「どっちやねん!」とツッコミを入れたくなったはず。
暑かった土曜日の朝はK察稽古会。師範の先生から「身体が沈む」とご指摘頂きました。最近、体の移動がスムーズにいくように感じていたのは良いのですが、それに伴って沈むのであれば、それは良いことではありません。
何が良くて何が悪いのか?どうすればいいのか?日々試行錯誤の連続ですね。
浅見先生、旅日記いつも楽しく拝見し、ミラノの芸術性の高さを写真を通じて感じています。
さて、最後の一本についてのご指導ありがとうございました。確かに最後の一本となると自分が打って終わりにしたい欲求に駆られ、最高の一本という認識は持っていませんでした。
奇しくも朝稽古でS道範士から「試合(試合モードに入っている私の剣道)を一度リセットしなさい」と浅見先生と同様な忠告を受けております。
少しでも進化できるよう頑張ります!
右に傾くのは、ワッチにはどうでもいいんだけれど・・・「よし、最後の一本」となると、どうかして当てて審判がつけば「勝ち」の旗を上げさせたくなるんだね、Gメンバーは。でも、Gメンバーに限らないけどさ。
最後の一本、となれば試合じゃ無いのよ。勝つかどうかじゃないのよ。稽古において求めた、理想の打ち方を繰り返してきた中で、最後に最高の打ち方を表現しようというのが「最後に一本」なのよ。
一本と言われると、すぐに試合と同じだと思うのが物足りない。当てっこ勝負を「最後の一本」と思うのだったら中学生並みか。